大道長安に通ず

こんにちは!
今日も亀屋石材のブログを見て頂きありがとうございます。

30度越えが続いた今年の猛暑もお彼岸が近くなって、やっとこ落ち着いてきましたね。あの暑さの中、作業に従事してくれた方々には感謝です。いつも健康で笑って作業してる職人を見ると誇らしく思えます。有難う!仲間たちよ!

さて、今日は私の初めての経験を一つ書きたいと思います。
先日、某寺院様の「入寺式」に参列させていただきました。
「入寺式」とは新しくお坊さんがお寺に入る儀式です。恥ずかしながら私もこの歳まで石屋でありながら、今まで「入寺式」に参列したこともありませんでした。
この度は亀屋石材も入寺式に当り本堂前の手擦り増設や敷石などを寄贈させていただきました。

はじめての「入寺式」でしたが、目に新しくとても新鮮でした。
先ず、新しく入山されるお坊さんが、檀家さん達と山門入口まで歩き、山門の前で
大きな声で「問答」が始まります。
そこで耳にした言葉が「大道長安に通ず!!」と若いお坊さんが大きな声で発しました。
「大道長安に通ず」この意味は直訳であれば、すべての道は長安に通じる。ですが、仏教のなかで長安は「悟り」を意味しており、今、歩いている道こそが悟りを開く。という意味になります。どんな道であれ、今此処こそが悟りに通ずる道である、という覚悟と信念を意味する言葉になり得ます。
それに対し「善哉!善哉!」(素晴らしい!素晴らしい!)と山門に立ちはだかる方々がお坊さんを認め山門を通させるシーンがあり、ここでの「善哉」の意味も調べてみると元々は仏教由来の言葉であり、称賛を意味する言葉だったそうな。
お釈迦様がお弟子さんたちの言葉に満足したときに「善哉、善哉」と褒めたそうです。

「大道長安に通ず!!」

はじめて参列させて頂いた入寺式。「大道長安に通ず!」この言葉を勉強しました。
全ての道はローマに通ずる、そんな言葉を思い出しました。
そして仏教のなかでは「悟り」を意味して、どんな些細なことでも一生懸命に打ち込んでこそ、一つの道を信じてこそ、悟りを開ける。そんな教えの籠った言葉のような気がします。

現代の中では沢山の人々が生き交い、沢山の情報が飛び交い、「道」こそ沢山あれど、一つを信じ、そこに情熱を注ぎこむ事の尊さ素晴らしさを改めて気付かされた一日でした。我々は共に生きていても、個々の人生、感性が有ります。今、歩いている道こそが私の道で有ると心して共に素晴らしいゴールを目指して生きましょう!!

梵字仏石塔

亀屋石材のブログを覗きに来ていただき有難うございます。

今日は梵字仏石塔を紹介したいと思います。
宮城が誇る「伊達冠り石」で有名な丸森の大倉山スタジオへ行ってまいりました。

以前、大倉山スタジオの社長が、竹林に佇む墓石をイメージして竹林の中に展示をしたいと熱望されているのをお思い出して見学に行きました。

竹林の中に入っていきます

木漏れ日の中で見えて来ました。

この「梵字仏石塔」は作家さんが手掛けた作品です。石材は伊達冠石。表面の加工は小たたき仕上げ。彫刻は「やげん彫り」正しくは薬研彫りと書くようです。
この薬研彫りが梵字を彫刻するのには一番引き立つ彫り方だと感じてます。
筆の中心に対して斜めに彫っていく、それにより光の陰影が見る角度で色んな味わいや、立体感を出してくれます。ここに彫られている「梵字」はカーンマーンと言って
不動明王を表す梵字です。一目見て気に入りました!
大倉山スタジオ社長の思い描いていた仏石塔が竹林に佇むイメージがこのような空間を作り出して、自然調和、山への感謝を表しているのがとても理解できました。

ほんと素晴らしい作品と素晴らしい展示だと感じました。

人間の寿命よりも長く残る石。凄い作品です。

私も一つ何か作ってみたいと思えてくる作品に出会えたことに感謝です。

30度を超えてた日々も数日の雨で冷やされ段々と秋に近ずく東北ですね。
美味しいものを沢山食べて夏の溜まった疲れをリセットしましょう!
秋彼岸までもう少し頑張るぞ~