總持寺の襖絵

今日も亀屋石材のブログを訪れてくれてありがとうございます。

孔雀の間

總持寺の中にある襖絵です。
沢山の素晴らしい襖絵があったのですが写真に収めてこれたのは3点でした。
總持寺へ修行へ行かれたお坊さん達にはどれも見覚えがある襖でしょう。
数人の絵師たちが總持寺で描かれたと聞いております。
中でも印象に残ったのが次の子供がいる襖絵でした。
ここで襖絵を描いていた絵師の方が總持寺で籠って描いてる中、息子さんがお亡くなりになったようで、その時に息子さんを偲んで描いたと云われております。

そして次の写真が「龍の間」です。

龍の間

どれも素晴らしい襖絵です。
そしてこれらが当時のまま残っている事にも感心してしまいます。

他にも「松の間」など素晴らしかったです。

私は今回、初めてこのような住職達と本山を巡る旅行に参加させて頂きましたが非常に良い経験でした。普段は仕事でお寺と関わっていますが、本山を訪れる事で沢山の修行僧の方々が若くして出家され日本の仏教、伝統、経典を受け継ぎ守っているという事実を垣間見ることが出来ました。
そして總持寺jの中を案内してくれた若いお坊さんは、宮城の富谷にある「威徳寺」から修行に来られているお坊さんでした。もう一年この總持寺jで修行するそうでした。
同郷の方に会うと親近感が湧きましたね。
心の中では「頑張れよ~!」って言ってました。

さて、来年は辰年ですね!
天まで昇るような運気でありますように!
僕の世代は「龍」を見ると「日本昔ばなし」の始まりの歌を思い出しちゃいますね。

總持寺 

今日も亀屋石材のブログを訪れてくれてありがとうございます。

さて、今日は前回に引き続き横浜は鶴見にある曹洞宗の大本山「總持寺」のお話しになります。
以前から「總持寺」には俳優の石原裕次郎氏のお墓があると聞いてましたが、今回は
700大遠忌参拝の前に石原家のお墓参りをする事が出来ました。

石原裕次郎氏のお墓

この墓石は五輪塔と呼ばれるお墓です。
元々のお墓の形ですね、後に見える「塔婆」も上部は五輪塔の形を意味しているとも
聞いたことがあります。
写真では白っぽく見られる墓石ですが、これらの石材は「万成石」と呼ばれ岡山県の石です。「桜御影」とも呼ばれています。淡いピンク色が特徴です。石原家のお墓は万成石を磨き加工ではなく石の表面をザラザラに仕上げていく技術で「こ叩き」という昔ながらの加工で仕上げられております。石の表面を刃の付いたハンマーで均等に細かく叩いていきます。「こ叩き」仕上げは磨きとは違う良さがあります。
ただ年数が経つと汚れが付着しやすいです。
この日、私は「万成石」の数珠をして行きました。笑
国産銘石の中でも有名な万成石。私も長年石屋としてお墓を建てていますが、万成石でお墓を建てて頂いたお客様はまだ1~2名しかございません。
石原軍団、、、震災当時に被災地の石巻市へ出向いてボランティアされてたのが印象に残ってます。

そして、もう一人の著名人のお墓は「アントニオ猪木」氏のお墓。
コチラも参拝させていただきました。

アントニオ猪木氏のお墓は、青森県にあると聞いたことがあります。そちらには故妻 田鶴子さんの遺骨があるそうです。
ここ總持寺の猪木家のお墓にはアントニオ猪木氏の遺骨はまだ埋葬されてないようです。猪木家の墓の中には猪木さんの胴部からの銅像がありますが、そこには有名プロレスラーの名前がズラリと刻まれております。生前の猪木氏の人望を覗えます。
政治家でもレスラーでも「燃える闘魂」のままのお方でした。
總持寺の方がおっしゃってましたが、猪木家の法要時には大柄な体格の方々が沢山来られるようで、何個かのイスが潰れてしまったとか。。


それにしても最後の一文、「迷わず行けよ、行けばわかるさ」

50才過ぎた私にも、グッときますね。シビレマシタ!

總持寺七百回大遠忌参拝

こんにちは!今日も亀屋石材のブログを訪れてくれてありがとうございます。

横浜は鶴見にある曹洞宗の大本山「總持寺」の700回大遠忌参拝に参加させていただきました。松島・利府・塩釜・多賀城・岩切 地区の曹洞宗の住職様達と数十名のお檀家様達との一泊二日の旅行でした。

私にとっては初めての大本山「總持寺」。
見事な佇まいと広くて全てを見る事はできませんでしたが、本堂での読経は沢山のお坊さん達がお経を唱える中、お焼香させていただきました。お坊さんたちのお経がもうトランス状態でした。

本殿の装飾された襖や数多くの仏像なども見せていただきました。一番印象に残ったのが「百間廊下」といって約160メートルある板張りの廊下です。明治に作られた板張りの廊下を現代の今も尚、修行僧たちによる水拭き雑巾がけでピカピカのフローリングになってます。水拭きだけでこのように保っていられる事に驚きです。

百間廊下 約160メートル

見事ですね。窓ガラスは大正時代に取り付けられた物と聞きました。
私の後ろを歩いていた修行僧の方にも「ココ雑巾掛けしてるの?」と尋ねてみたら
しっかりと「はい!」とお答えになってました。
出家されて本山での2~3年の修行をなされて住職になる道を進まれる。
そう想うと感慨深く思いました。若い修行僧の方々がこの宗派を、お寺を、文化を、伝統を守っているのだなと深く思いました。昭和の時代も平成の時代も、令和の今も。

現代は「お墓」や「お寺」を離れていく方々も多く見られますが、経済状況や住居状況がやむを得ないだけであって「信仰」や「拠り所」はいつも正しく、伝統が守られている事を知って欲しいとも感じました。

世界では宗教戦争などで守られてきた場所が次々と破壊される中、「信仰」は残るでしょうね。傷痕だけが残るでしょうね。サッサと戦争やめて守る方に徹して欲しい。
遠くから爆弾とかじゃなく、もっと向き合って欲しい。。。

そんな想いになる今回の「總持寺 700回大遠忌参拝」でございました。

次回は「石原裕次郎さんのお墓」と「アントニオ猪木さんのお墓」についてお話しいたします!